シャネル(Chanel)の歴史
1883年、フランス中南部オーベルニュ地方に生まれたココ・シャネル、本名ガブリエル・シャネル。孤児院で恵まれない時代を過ごしますが、そのときに築かれた自立の精神「自由」が彼女の生涯を通じての信条となります。
ココとは彼女の愛称で、お針子として孤児院を出た後、踊り子を志して田舎町のキャバレーで踊っていたころにつけられた愛称です。その後、英国の青年実業家と知り合い、彼のバックアップを得て、初めての店となる帽子店を1910年パリのカンボン通り21番地に「シャネル・モード」を開店しました。
飾りのないシンプルな帽子は人気となり、店は大成功を収めました。第一次世界大戦が始まると、富裕階級のリゾート地であった、フランス北西部ノルマンディ地方の街ドーヴィルに移り、パリから疎開してきた人向けに洋服を作り始めます。安いジャージ素材のシンプルで着心地がよく、むだのない服は意表をついたコレクションで上流社会の話題を呼ん大評判。「ハーパース・バザー」誌で取り上げられ、新時代のクチュリエ(オートクチュールのデザイナー)としての実力が認められました。
1921年にはカンボン通り31番地へとブティックを拡張し、最初の香水となる「シャネル No.5」を発表。翌1922年には「シャネル No.22」「ガーディニア」など立て続けに7つの香水を発表しました。その3年後の1924年にパルファンシャネル社を創立するなど、ビジネスの手腕もさすがです。
シャネルの斬新なアイデアは男の服装をヒントにしています。「どうして女は窮屈な服装に耐えなければならないのか」シャネルがずっと感じていたことでした。英国紳士服の仕立てや素材の素晴らしさを女性の服に応用したのが有名なシャネルスーツです。ネイビーと白のマリンルックも水兵のユニホームがヒントになっています。これらシャネルの服作りに一貫している姿勢は、男に支配される女を徹底的に排除し、女のからだと心を解放しようとする新しい試しみでした。
ココが87歳で永眠した後を引き継いだのはカール・ラガーフェルド。ファッション界きっての才人といわれる彼は自分の名を冠したブランドをはじめフェンディやクロエのデザイナーとしても知られています。
シャネルのデザイナーとして、ココのポリシーである「古い価値観にとらわれない女性像」を守りつつ、新しいシャネルブランドを築いてきました。シャネルのブランドの歴史は、20世紀を生きた女性たちの歴史そのものとも言えます。リッチなマダムの衣装というそれまでの固定観念を打ち破り、一気に若返らせたのも手腕もさることながら、今後のシャネルの行方がとても気になります。


